2013/11/08

自分の、知らない、自分

今日は一日晴れ。秋晴れでした。

午前中は、鶏舎の世話、実エンドウ・ソラマメの播種。

午後は、米ヌカの袋詰めと、タマネギの定植。

夕方は、知人友人に無理やり送りつける(笑)サツマイモの箱詰めを。


自分のことを一番知っているのは自分。

これはまず間違っていないというか確かなことだと思う。

でもそれは、自分が自分のすべてを知っている、ということではない。


ジョハリの窓という概念があって、
「自分がわかっている/わかっていない自分」という軸と
「他人がわかっている/わかっていない自分」という軸を掛け合わせて、

開放の窓:自分も他人もわかっている
秘密の窓:自分はわかっているが、他人はわかっていない
盲点の窓:自分はわかっていないが、他人はわかっている
未知の窓:自分も他人もわかっていない

という4つの「窓」に分ける、という考え方。

で、他人に評価してもらったり、自分をオープンにすることで、
「開放の窓」を拡げていけたらいいねー、と(ざっくり。笑)


まぁ、あくまで考え方なので、その是非うんぬんはどうでもいいけど、
やっぱり、開放の窓あるいは秘密の窓が大きいよなぁ。


他人が見ている「自分」は、その人との関係の中での人格で、
そのほかの場面での「自分」は、基本的には、その相手は知らない。

だから、誰かに接するとき、自分が知っているその人の側面から
もろもろを判断して相対するしかない。


でもそれって、いろいろと難しいよねぇ。

そのひとのわずかな部分しか見ていないのに、それをもとに評価しても、
そのひとからしたら、「何を的外れなことを」って思うことも多いんやろな。

それが嫌なら自分をもっとオープンにして、
相手が抱く自分への認識と、自分自身の自己認識を近づければいいじゃないか、
という話なんやろか。

そんな単純なことではないような気もするけど。

あぁ、なんか、なに書いてるんかわからんくなってきた(笑)

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