2013/11/17

「今日のダーリン」が生まれる瞬間を見て

今日は晴れのち曇り。

午前中はかなり暖かくて、汗ばみかける感じ。

午前中は、ホウレンソウ畝にヨーグルト液肥の追肥、不織布かけ、
ミズナ畝の不織布かけ、カリフラワー畝の除草を。

午後はカリフラワー畝の除草の続きと、追肥。

遅くまで作業していたので、夕方の練習畑の作業はできず。。。


これまでに何度か書いたかもしれませんが、ぼくは糸井重里氏のファンです。

糸井さんの考え方や発想の飛ばし方、視点の切り口などが、
とてもシンプルで本質的だけど独特で、いつもはっとさせられるというか。

糸井さんが運営されている「ほぼ日刊イトイ新聞」には、
毎日糸井さんが書いている「今日のダーリン」というコラムがあって、
ぼくはそれを毎日楽しみにしています。

で、昨日「ほぼ日」で、「ものが生まれる瞬間フェス」と銘打って、
色々なクリエイタの方が作品を作っている姿を中継されていたのですが、
その締めくくりとして、
糸井さんが翌日の「今日のダーリン」を書く姿を中継していました。


それを観て感じたのは、
あの長いとはいえない文章にこれだけ時間をかけているのか、
ということでした。

時間をかけているということは、
つまりはそれだけ思考をして、発想をして、洗練して、推敲して、
ときには途中まで作ったものを捨てて、作り上げているということで。

こんなことをずっと毎日毎日繰り返しているからこその、
あの言葉たちなのだな、というズシリと来る実感のような。


10000時間やれば誰だって何だって一人前になれる、
というような話をよく見たり聞いたりします。

でも、たぶん、数分で書き上げてしまうこのブログの記事のように、
思索をほとんど経ていない文章をいくら書いても、
糸井さんのような文章を書けるようにはならないんだろうな。
(今日の記事は20分くらいかかりましたけど)

ただ漫然と文章を書いているだけではダメなわけで、
どういう文章が書けるようになりたいのか、
を、まず自分でぼんやりとでもイメージしておく必要がある。

で、それがたとえば、「糸井さんのような本質的な文章」なら、
本質的なことを考えて書くことをしなければ、
そうなることはできないということ。


もちろん文章だけに限った話ではなくて、仕事でも、スポーツでも、なんでも。

ぼくは、どんな農家になっていきたいのだろう。

なにを意識して、日々の作業に打ち込んでいこうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿