2013/09/24

弱音は吐くことに意味がある

今日も晴れ。雨はいずこ・・・。

午前中は、鶏舎の世話、鹿よけネット張り、ハンマナイフモア。

午後は、キャベツ畝にモミガラ・堆肥マルチ。

夕方は、練習畑のナス・ピーマン畝の片付け。


しんどいときとか、大変なときとか。

弱音を吐ける、って大事なんだなぁ、と思います。

弱音を吐いたからといって、
困っている問題が解決するわけでは決してありませんが、
「自分が問題に直面している」という状況を、
弱音を吐くことによって客観視できるんだと思うんですよね。

自分の頭の中だけで「弱音」を抱えていると、
思考が無限ループしてどんどんネガティブになっていきがちですが、
他人に喋ること、つまり、ちゃんと言葉にすることで、
ある程度の筋道が立つというか、無限ループから抜け出せるというか。

弱音だけじゃなくて、愚痴とかもそうなんかな。

言ってどうこうなると言うよりも(気分が楽になることもあるかもですが)、
「言う」というその行為に意味があるんやろなぁ。

そういう意味では、弱音や愚痴を言える相手って、
とても大切なんだと思う。

人によって、また、同じ人でも状況によって、
弱音や愚痴に対して聞き手にどう反応してもらいたいかはいろいろだろうから、
自分の、そのときどきの、気持ちに寄り添った聞き方を
してくれる相手がいるといいんでしょうね~。


・・・とか言ってるぼく自身は、弱音や愚痴を人に言うのが苦手で、
自分の中に溜め込みがちで、よく苦しくなるんですけどね(苦笑)

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